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メッツ-ウィレッツ・ポイント駅(Mets - Willets Point)はニューヨーク市地下鉄IRTフラッシング線の駅で、クイーンズ区ウィレッツ・ポイントにある。以前はウィレッツ・ポイント-シェイ・スタジアム駅(Willets Point - Shea Stadium)という名前だった。終日7系統が停車する。また、ラッシュ時の混雑方向やニューヨーク・メッツの試合時、そしてテニス全米オープン開催時には<7>系統も停車する。駅はルーズベルト・アベニューの114丁目-126丁目にあるフラッシング・メドウズ・コロナ・パーク の中にある。駅の北側にあるシティ・フィールド(1964年から2008年まではシェイ・スタジアム)でのニューヨーク・メッツ戦や、南側のUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターでのイベント開催時には非常に混雑する。 == 歴史 == メッツ-ウィレッツ・ポイント駅は、ウィレッツ・ポイント・ブールバード駅という駅名で1927年5月7日に開業した。当時はウィレッツ・ポイント・ブールバードと126丁目およびルーズベルト・アベニューの交差点にあり、フラッシング線各駅停車が止まるだけでプラットホームに繋がる2本の階段と短い上屋があるだけの地味な駅だった。1936年に1939年ニューヨーク万国博覧会がフラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催されることになったため、予想される混雑に対応できるように現在地に移転したうえで改築され、急行停車駅に格上げされた。 1936年12月には、さらなる混雑に対応するために3面4線に拡張して両方向とも毎時40本が停車可能とすることが計画された〔EXPANDED TRANSIT FOR FAIR IS ASKED "State and City Boards Join in Plea for Appropriation of $1,850,000. 〕。万博輸送のための特別急行列車は1939年4月24日から運行された。北行き相対式ホームとスロープは、再びフラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催されることになった1964年ニューヨーク万博の際に増築された。その後、シェイ・スタジアムが建設されるとしばらく後にウィレッツ・ポイント-シェイ・スタジアム駅に改称された。現在、1927年開業当初の名残は駅のすぐ東側で見ることができ、古い相対式ホームの鉄骨や以前の改札内エリアの一部が残っている。気付きやすいのは南行き相対式ホームが現在の11両編成よりずっと長くなっていることであろう。現在の待合所の東側の部分は以前の南行きホームの一部だが、修繕されないままで立ち入り禁止になっている。 ニューヨーク・メッツの平日夜の試合に合わせたマンハッタン方面の急行列車は2007年7月に導入され、2008年4月には平日夜と休日の全試合について試合終了後に運行されるようになった。この超急行列車は、マンハッタンまでの停車駅はクイーンズ区内の3駅(61丁目-ウッドサイド駅、クイーンズボロ・プラザ駅、コート・スクエア駅)のみで、所要時間は約1時間である。試合後にはマンハッタン方面行き各駅停車は南行き相対式ホームに停車し、マンハッタン方面行き急行とフラッシング-メイン・ストリート方面行きは島式ホームに停車する。 シェイ・スタジアムの閉鎖・解体に伴い、MTAは駅名をシンプルなメッツ-ウィレッツ・ポイント駅に改称した。これは企業名を含む駅名(シティ・フィールドはシティグループが命名権を購入した)を避けるためである。MTAは命名権取引に成功していないが、駅名を自由にしてよいという条件で競売にかけることはないと考えられる。もし命名権取引が成立していれば、駅名はウィレッツ・ポイント-シティ・フィールド駅になっていただろう。 2015年1月20日にニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモはグランド・セントラル・パークウェイ上に新交通システム を建設する計画を発表した。これは、当駅とラガーディア空港を結ぶものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メッツ-ウィレッツ・ポイント駅 (IRTフラッシング線)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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